小説『いのちの停車場』

医者の立場で言う”正論”と、患者の家族として思う”感情”

これらは決して一致しません。頭ではわかっているけれど、心はそれを望んでいない…。医師である咲和子にとってもそれは例外ではありませんでした。

在宅医療や終末期医療のあり方、患者の尊厳など、現代の医療現場に横たわる様々な問題を描いた物語。

現役医師の医師として終末医療に携わっている南杏子さんが、実体験も交えながら描いた渾身の問題作です。

病院での治療は教科書通りに行われるもの。それに対して在宅医療、終末医療というものは全く教科書の存在しない医療で、一つとして同じパターンのケースは存在しないとのこと。

”死ぬ”ことよりも、最期まで自分らしく”生きる”ことについて思いを巡らせることでしょう。

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登場人物

白石咲和子

城北医科大学病院救命救急センターの副センター長を8年務めた62歳。高校を卒業してからずっと東京で生活していましたが、退職して故郷の金沢で父と過ごすことにしました。

野呂聖二

医師国家試験浪人中。勉強になるからと、救命救急センターでアルバイト中です。

兄は人命救助の仕事にやりがいを感じている消防士でした。兄から救急患者の受け入れを断られる話を何度も聞き、患者を断らない医師になりたいと医師を目指すことにしたのでした。

しかし尊敬する兄は、去年の国家試験の直前に火災現場で殉職していました。

仙川徹

咲和子より2歳年上で、子どものころから家族ぐるみの付き合いがありました。金沢で訪問看護専門のまほろば診療所を経営しています。

星野麻世

実家は卯辰山中腹で三湯旅館を経営しています。実家を手伝うことが当たり前のように育った麻世は、両親に反発して看護師の道を選びました。

白石達郎

金沢で一人暮らしをしている咲和子の父、87歳。80歳まで加賀大学医学部付属病院の神経内科医として勤務していました。

母は5年前に交通事故による外傷性クモ膜下出血で亡くなりました。意識がほとんどないまま約半年の延命治療をしたことを父は悔やんでいました。

柳瀬尚也

まほろば診療所スタッフの憩いの場、”STATION”というバーのマスター。若いころモンゴルを放浪していた経験があり、懐の大きい人です。

小説のあらすじ

咲和子は、今日の患者の受け入れの可否を決めるホットライン担当です。何事も起こらない静かな夜を願ったのもつかの間、ホットラインが鳴り響きます。

近くで大規模交通事故が発生し重症患者が20名以上いる模様で、7人の受け入れを打診されました。咲和子は受け入れを受諾しました。

各所から応援の医師やナースが集まってくるものの現場は戦場のような状態です。そこに一般の救急外来の患者も来ますがとても手が回りません。

激しい腹痛と嘔吐で受診にきた10歳の女の子を、事務のアルバイト・野呂聖二が車いすで連れてきました。咲和子は虫垂炎だと診断し、脱水症状を起こしているので先に点滴をしようと言いましたが、その直後、重症患者の容体が急変し呼び戻されてしまいます。あちこちから咲和子の指示を仰ぐ声がきかれる中、咲和子は「それぞれできることを進めて。責任は私が取る。」と言いました。すべての患者が落ち着いたときには朝の5時を回っていました。

数日後、咲和子は病院長から呼び出しを受けました。虫垂炎で受診した女の子の家族からクレームが来ていると言います。事務員の男性に点滴をさせたとマスコミに公表すると大騒ぎしているとのことでした。

アルバイトの野呂が手が回らない現場を見かねて女の子に点滴をしてくれていました。「できることをしていい。責任は取る。」と言ったのは確かに咲和子でした。7人もの重傷者を受け入れるからそういうことになると責任を追及され、咲和子は大学病院を退くことにしました。

若いころに結婚・離婚をし、子どもはいないので、肉親と呼べるのは、金沢で暮らしている父だけです。咲和子は金沢に帰ることにしました。

帰るなり、父が「仙川の診療所に行ってくれ」と言います。行ってみると、院長の徹は大腿骨を骨折して車いす生活を余儀なくされていました。まほろば診療所の現在の診療形態は「訪問看護」。徹が動けなくなってしばらく休診状態でしたが、咲和子に訪問看護を手伝ってほしいと言いました。

看護師の星野麻世に同伴してもらい、なんとかこなした訪問看護初日。たった5人と思っていたけれど、これは大変なことを引き受けたと実感しました。

CASE 1

最初の患者はパーキンソン病を患っている並木シズさん。夫の徳三郎による老老介護です。徳三郎はお金がかかることは徹底的に拒否しますが、シズが起きてこないように、眠り薬を強くしてくれだの、早く死んでもらわないと困るだのと言っていました。

2日目の訪問看護から戻ると、診療所の前に派手な車が停まっていました。なんと、野呂聖二がきていました。自分のせいで咲和子がこんな田舎に来ることになって、罪滅ぼしをさせてほしいと申し出ます。医師免許はないけれど、運転免許があるならと、訪問看護の運転手として手伝ってもらうことになりました。

並木シズさんが救急搬送されたと連絡があります。2日後には退院しましたが、明らかに状態は悪くなっていて、死期が迫っていました。咲和子は徳三郎に「死のレクチャー」をしました。

それから5日後の早朝、シズは徳三郎に手を握られて、旅立っていきました。「シズ、シズ…」と泣いている徳三郎を見て、冷たい夫のように見えていた徳三郎は、妻の死の恐怖を前にしてうろたえていたのだと気づきました。

CASE 2

IT企業社長の江ノ原一誠をオフィスビル最上階の自宅に訪ねました。40歳の若さですが、ラグビーのプレイ中に精髄を損傷し、手足が動かない四肢麻痺の状態になっていました。

江ノ原の希望は在宅医療で最先端の医療をしてほしいということ。お金ならいくらかかってもいいので、幹細胞治療をしてほしいと言いました。

咲和子は文献を読みあさり、つても使って、「再生医療クリニックTOYAMA」と連携を取りながら治療していくことにしました。

CASE 3

新しい訪問看護者を訪れた咲和子と麻世と野呂は、まるでゴミ屋敷の自宅の浴槽の中で大槻千代さんを見つけました。聞けば一日の大半をお風呂で過ごしているとのこと。セルフ・ネグレクトでした。

娘の尚子も駆けつけてくれましたが、千代さんは常に喧嘩腰で、尚子も「この散らかった家は母の個性」だと言いました。

尚子夫婦が経営している食堂を訪問して話をしてみると、若い夫は「片付けんとダメだ」と言ってくれて、1か月お店を休んで千代の家の片付けを手伝ってくれることになりました。

千代さんが脱衣所で転び、救急車で運ばれたと連絡があります。治療を受けた千代さんは病院で大声を出して暴れまわり、鎮静剤を打たれて眠らされるようになってしましました。尚子は千代を家に連れて帰ることにしました。大好きなお風呂をリフォームして少しでも快適に過ごせるようにしたいと言いました。

お風呂のリフォーム中、尚子の家にお風呂に入りに来るようになった千代さんは「ありがたい、ありがたい」と娘に感謝の言葉を口にするようになりました。尚子とともにお風呂屋さんに行くこともありました。

お風呂のリフォームはやめて、大浴場のついたデイサービスを利用しながら、このままの生活を続けることにしました。

咲和子が帰ると、父が倒れていました。タンスの上の箱を取ろうとして椅子から落ち、大腿骨を骨折していました。

CASE 4

父の手術の3日後、城北医大の医学部長から「ただちに上京してもらいたい」と電話があります。城北医大病院に着くと、厚生労働書統括審議官の宮嶋一義が入院する特別室に案内されました。

宮嶋の病名は膵臓癌で肺への転移も見られました。抗癌剤の効果も乏しく、郷里の金沢で在宅医療を希望していると言います。

最高の技術で最高の医療を受けてほしいと提案するスタッフと家族に反して、宮嶋は「治療はやめて、自宅で緩和ケアを受けたい」と言いました。国の財政を圧迫している医療費を削減するために”病院から在宅へ”というキャンペーンを掲げている厚生労働省の人間が、病院にしがみつく訳にはいかないというのが理由でした。

友達もなく縁もゆかりもない土地で夫の介護を完璧にしようと頑張っている妻の友里恵は、次第に弱っていく夫を見ながら、精神的にまいっている様子でした。

麻世は、介護の一時休止、レスパイト・ケアに、自分の実家の旅館に友里恵を招待したいと言いました。2泊3日、美味しい料理を食べて、近くを観光して、友里恵は元気になって帰ってきました。

友里恵がいない間に宮嶋は、片付いていない段ボールを開けて荷物の整理を始めていました。咲和子たちが訪ねた時には、よく息子と遊んだというプラレールが組み立てられていました。友里恵とも母校や思い出の場所を訪ねたりして「ここには自分の世界があった」と語りました。

宮嶋の死期が近づいてきました。息子の大樹に電話しても出てくれません。宮嶋が「だ、だい、き…」とうめくように発した声に、咲和子はとっさに野呂の手を握らせて「息子さんですよ」と声をかけます。野呂も迫真の演技で「親父!親父!」と呼び掛けました。

そこへ大樹が到着しました。部屋には縦横無尽にプラレールが組み立てられており、電車が右へ左へと走っていました。「親父、ありがとう…」大樹は宮嶋の手を握り、声にならない声で言いました。

咲和子の父は、大腿骨骨折の手術後は比較的元気にしていましたが、誤嚥性肺炎を起こしてから急激に状態が悪くなっていました。そして、さらに悪いことに脳梗塞を起こし、その後遺症で衣類や風が当たっても激痛を感じる「異痛症」に苦しめられていました。

CASE 5

北陸小児癌センターから在宅医療の依頼が来ました。患者は6歳の女の子・若林萌ちゃん。胎生期の腎芽細に由来する悪性の腎腫瘍でした。三次治療の抗癌剤も効果がなく、転移は全身に広がっており、余命は数週間とのことでした。

萌ちゃんの両親は、未だ娘の病状を受け入れることができず、なんとか新しい薬で治療できることを望んでいました。咲和子が、その望みがないことを告げると今度は自分を責めるという、苦しみのプロセスの真っただ中にいました。

萌ちゃんは初日から野呂にとても懐いていました。萌ちゃんは野呂に「海に行きたい」と言いました。どうしても萌ちゃんの願いを聞いてあげたくて、まほろば診療所のスタッフは何かできることはないかと探しました。

千里浜のなぎさドライブウェイは世界でも数か所しかない波打ち際まで車で行くことができる海岸です。萌ちゃんの体に万が一のことがあったら…とためらう両親に、咲和子は「特別な一日がほしいという、萌ちゃんの願いを叶えてあげませんか。」と話しました。

海に行く日は、最高のお天気でした。父親に抱かれて海に足をつける萌ちゃんはとても楽しそうでした。萌ちゃんはその3日後に亡くなりました。

CASE 6

咲和子の父の病状は一向に改善することはなく、一日中痛みにうめき、まるで拷問に遭っているかのようでした。神経内科医だった父は、痛みを抑える手立てがないことを誰よりもよく知っています。

「目を覚ますのが恐ろしい。体に火を押し付けられたような痛みで絶望的な気持ちになる。家に帰りたい。母さんの庭を眺めながら死ねれば本望だ。」父は言いました。

在宅死を受け入れるには、家族の覚悟が不可欠だと言うことを頭では理解している咲和子でしたが、父の延命治療を辞める決断ができません。それは医療者だからなのか、娘だからなのか…。

苦悩する咲和子のところへ仙川がやってきて話します。仙川の妻は40歳の若さで乳がんで亡くなったと聞いていました。仙川は、全身に痛みが広がり呼吸もままならなくなった妻を「頑張れ、頑張れ。」と励まし、治療を受けさせていました。「もう許して。頑張れない。一緒に暮らした家をもう一度見たい。」と懇願する妻を、一日だけ家に連れて帰った翌朝、妻は首を吊って亡くなっていたのでした。

咲和子は父を自宅に連れて帰ることにしました。まほろば診療所のみんながSTATIONで咲和子を励ます会を開いてくれました。野呂は「必ず医師免許を取ってここに戻ってくるから、待っていてください。」と勉強を再開することを宣言しました。

マスターの柳瀬は「苦しくてどうしようもない。」と言う咲和子に「思って行けば実現する。ゆっくり行けば到着する。」というモンゴルの格言を贈りました。

翌朝、父は咲和子に「お父さんを楽にさせてくれ。十分に生きた。そろそろ母さんのところへ行くよ。」と言い、メモを渡しました。

ペントバルビタール2グラム点滴静注

その薬が意味するのは積極的安楽死です。「耐えがたい痛みがある。これ以上痛みに耐えていると必ず錯乱する。」と父は懇願しました。

一人で抱えきれず仙川のところへ向かった咲和子。「これまで人を救うことだけを考えてきたのに、その線は越えられない…。」と言う咲和子に、仙川は1962年の名古屋高等裁判所の判決文を見せました。そこには積極的安楽死を是認しうる6つの条件が書かれていました。

咲和子が下した決断は?
モルヒネを使っても痛みをコントロールできない患者は数えきれないほどいます。父の望む処置が、痛みに苦しむ患者や家族の救いになる可能性も少なくないはず。自分が金沢に戻った意味があるとすれば、それはこの行動にあるのかもしれない…。

父との約束の朝。仙川は処置に立ち会う「第三者の医師」として、野呂は記録用のビデオを録画するために咲和子の家を訪れました。

生理食塩水でルートを確保するために、父の腕に震えながらトンボ針を刺し、鎮静剤を連結しました。あとは父がつまみをオンにすれば薬剤が静脈に流れ込みます。

「お父さん、本当にこれでよかったの?私、間違ってない?」と聞く咲和子に、父は「やっと楽になれる。咲和子、ありがとう。」と言いました。

つまみに伸ばしかけた父の手が、ふらりと布団の上に舞い戻り小刻みに震えたかと思うと、突然だらりと垂れ下がりました。見慣れた死のプロセスをたどることなく、父は亡くなっていました。

仙川が2通の封筒を手渡します。「患者の苦痛を緩和する目的であること」「本人の真摯な嘱託・承諾があること」を証明するために、父がしたためたものでした。

しばらくして咲和子は「警察に行きます」と言いました。

自分の行為を世間に問いたいという思いでした。咲和子の中には、世間に問うことで希望を見出す人々が必ずいるはずだという確信に似た覚悟がありました。

小説を読んだ感想

高齢化社会を迎えた日本。財政を圧迫する医療費の問題は実はとても深刻です。

そんな中で進められる訪問看護、終末期医療について、私はあまりにも無知であることを思い知らされました。

この本を読んで、ほんの少しいろんな言葉を知って終末医療の知識を得たところで、それが自分の身に降りかかったときに役立つかと問われると、無理だろうと思います。

患者の死を客観的に何人も見届けてきた咲和子でさえ、父の容態の悪化にはどうしていいのかわからず、おろおろするばかりなのですから、私には落ち着いて受け止めることなんて…できる気が全くしません。

それが年老いた親でも、夫でも。ましてや我が子となるととても受け入れられるものではないと思います。

逆に自分が看取られる立場になったとき、どのように感じどのように望むのかも全く見当がつかなくなってしまいました。咲和子の父のように、苦しみたくない楽にしてほしいと思うとは思いますが、果たしてそれを伝えられるような状況なのか…、それを受け入れる家族の気持ちは…。

”生”と同じように”死”も人生に1回こっきり。やり直しがきかないものです。生まれ方は選べないけれど、もしかしたら死に方は選べるのかもしれない。そう思うと、ちゃんと考えておかなくてはいけないことなのだと思うのです。

できれば避けて通りたい、苦痛を伴うことだと思います。だけど、家族とは、笑って話せる今だからこそ話しておきたいと思うようになりました。深刻な状態になってからだと、あまりにも現実的すぎてたぶん話せないんじゃないかと思います…。

何度考えても途中で思考停止してしまう、重くて深い物語でした。

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